”Mirare” によせて。 

 

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© Sidd Murray-Clark & Satoko Noguchi

Sidd Murray-Clark × Satoko Noguchi – Mirare –  によせて。

 

谷崎潤一郎さんの著書に『文章読本』という一冊がある。

谷崎氏の語り口調が心地よく、名文を引用しながら、よい文章
とはどのようなものなのかを、丁寧にわかりやすく説明している。

文章について書かれてはいるが、それは文章に限らず、写真、
絵画、料理など、クリエイティブなこと全てに通じていて、
云々唸ってしまう場面が何度もあった。

例えば、
「最初に思想があって然る後に言葉が見出されると云う順序で
あれば好都合でありますけれども、実際はそうとは限りません。
その反対に、まず言葉があって、然る後にその言葉に当て嵌ま
るように思想を纏める、言葉の力で思想が引き出される、と云
うこともあるのであります」

という一節に、それは写真についても言えることだなぁと思った。

 

私の場合、最初に思想、構想があってそれに基づいて作品を作っ
ていくということはあまりなく、最初に撮った1枚の写真が、思
想の方向性を示していたり、何とはなしに撮り溜めていた写真を、
何となく並べてみると、ふっと構想が立ち上がったりする。

 

モノクロのシリーズは、「手の鳴る方へ」
カラーのシリーズは、「ゆきたい方へ」
両シリーズとも、今回の展示『Mirare』に向けて製作されたもの
ですが、少し不思議なプロセスを経て生まれました。

 

「手の鳴る方へ」
実家の本棚の奥から、モノクロの古い写真集が出てきて、久しぶ
りにモノクロでプリントしてみたくなり、何枚か選んでテストプ
リントをした。
テーブルにプリントを並べている途中で、飲みかけのコーヒーを
こぼし、プリントを汚してしまった。その時ふと、染色家の友人
がコーヒーで染めた生地を見せてくれたことを思い出した。その
コーヒー色に染まったプリントを持って Siddさんのアトリエを
訪ねた。その後に起きたことは省かせていただくが、そんないき
さつを経て、これらの作品が生まれていった。
私の意志ではなく、何か(それを何と呼ぶのか私にはわからない)
からのお導きで出来上がったという気がしている。
そう、”手の鳴る方へ” 導かれたのだ。

 

「ゆきたい方へ」
きっかけは昔プレゼントされたポラロイドカメラだった。
ずっと押入れで眠っていたのだが、ふと撮ってみたくなり、箱を
開けた。消費期限を過ぎたフィルムが一袋入っていた。フィルム
をセットしてワクワクしながら出かけた。
素敵な風景に出会い、何枚もシャッターを切ったが、ポラロイド
から吐き出された全ての写真はただ一色の何も写っていないフィ
ルムでしかなかった。本当は何かが写っているのではないか?と
目をこらして隅々まで見入った。
その時ふと、パソコンで画像処理中に、間違えて画像を拡しすぎ
てその一部が大きく切り取られ、混乱した時の自分の感情と結び
ついたのだった。
試しに、何枚かそのようなプロセスで出来てしまった写真を並べ
てみた。池の鯉の皮膚であったり、孔雀の羽であったり、虫の背
中であったりする、それらを見ていると、不思議と何か私に語り
かけるものがある。それらにはゆきたい方向があることが感じら
れた。その方向へ私が反応していったもの。それがこのシリーズ。

Sidd Murray-Clark × Satoko Noguchi – Mirare –

いつもと違う道。

IMG_2509-a.jpg©SATOKO NOGUCHI

いつもの散歩道から
少し外れて
久しぶりにこの道までやってきた

今日は特別な日なんだろう?

お母さんが軽やかな服を出してきて
いつもより早く出かけたんだもの

この道を
ゆっくりゆっくり歩いて
何度も何度も止まるんだ

やっぱり今日は特別な日なんだろう?
お母さん

静かな夜に。

 

IMG_4837.JPG© SATOKO NOGUCHI

 

残ったワインを手に
色々のことを考えているときだった

ふとベランダへ出てみると
お月さまが朧げに浮かんでいる

静かな夜だった

お月さまはこの曲を選んだのだろう

ショパンの憂鬱な旋律は
春の夜によく合うのだった

ミッドナイト・イン・キョート。

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© SATOKO NOGUCHI

アンプからは哲学的なジャズが流れ

透明なグラスと氷が重なり合う音や
木の床をパンプスの踵が叩く音
男女のささやきを融合させ

その空間を作り上げている

最低限の照明と
手元を照らす蝋燭の灯は

華奢なカクテルグラスに添える手を
セクシーで美しく見せてくれる

オーダーしたブランデーのカクテルに
名前がなかったので

密かにそのサルーンの名前をつけた

最期のステージ。

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© SATOKO NOGUCHI

深紅のドレスを纏い
裾をはためかせる
フラメンコダンサーの

そこはまるで
ステージだった

生まれ
咲かせ
散って
去る

「どんな姿になろうとも
死ぬまで踊り続けるのさ」

最期のステージで
彼女はそう教えてくれた